自然とジブリと人生と

あまりにも話がぶっ飛んだ。私自身メンタル的に結構やられている。まぁそれは高校生の頃からだけど。
どの道これまでのような経済の国には戻りたいと思えない。そりゃきれいな服を着て美味しい物を食べたいけれど。人間が自然を利用するなんてのが根本的に間違いで、自然の流れの中で人間がどう生きるかが大事なんだという事を、この震災で(そして先日の「スタジオジブリ物語」で)痛感させられたよ。千尋だって「ここで働かせてください!」と必死に訴えてようやく自分の名前と引き換えに契りを交わし、湯屋の歯車に入れてもらうことが出来た。win-winな関係とはよく言ったものだが人間だけを相手にしていてはだめで、ビジネスのように、今度は自然と契約するべきだ。私たちは自然から何をもらって生きているか、それと引き換えに私たちは自然には何を差し出せばいいか、考えていく必要がある。生き残った者たちは、これから先ずっと、永遠に。

TVニュースで消防隊員が涙ぐんで言葉を飲み込むのを見て、私は本当の事が解ってしまったような気がする。彼らは言ってはいけない何かを抱えている。そう感じた。次々に外国人が帰国しているのも、発展途上国が400万円もの大金を送ってくれるのも、そういうことなんだ。でも私は逃げないよ。真実がどうであれ、私はここで生まれてここで死ぬ。関西に逃げたい人は、そうすればいい。国外に逃げたい人は、そうすればいい。
だけど私も何かに巻かれる可能性はゼロではないな。私が安心する時、それは大切な人が笑顔で居る時に他ならない。一人ぼっちでは結局何も出来やしないんだ。私の命は愛する家族と共にある。
日本には「余命何カ月の花嫁」だとか「あと何日で死ぬとしたら」みたいな話がたくさんある。実話もフィクションも。だがどんなに足掻いても人間の死亡率は100%。死ぬ日が提示されたところで悔いのない人生を送るだけだ。知人が泣いても一生。笑うても一生。ならば今生泣くまいぞ。と言っていた。ソースこそ知らないが私はそれに賛同する。

彼は帰って正解だった。私も帰って正解だった。そういうことさ。
実際に「なって」みるまで、それは誰にもわからない。以前、所ジョージが「何故山に登るのか?という意味を、山に登っていない人や登り途中の人が考えちゃいけない。山を登りきった人だけがその意味を考えていい」というようなことを言っていた。
人生は後ろ歩き 未来はお楽しみ。こちらは「スタジオジブリ物語」でやっていた「ホーホケキョとなりの山田くん」の挿入歌解説から。なるほど人というのは未来は見えないが過去は見えるものだ。後ろ歩きとは言い得て妙だな。

カテゴリ:日常・人生 社会, TV, 時事
梅干甘太郎 webmaster@umekan.net