ケチケチ

自分に対してケチケチな人間というのは、結局のところ誰に対してもケチケチだということなのではないか。
私は今まで自分に対するケチケチを続けてきてしまってしたのかもしれない。というのも、欲しいものがたくさんあって選べないから、一つも選ばない、という選択を数多くしてきてしまったのだ。選び取らなければ減らずに済むから。その結果、決断を回避して生きてきてしまった。
私が買い物でAかBか、あるいはCかと悩んでいると、たまにこんなことを投げかけてくる人がいる。
「両方買えば?」
こういう選択肢がさらっと出てくる人間というのが、本当の意味でケチケチではない人間だと思う。
そしてさらにそういう人間にこそ大きなお金さんが集まってくるに違いない。

自分には幼少期から飢餓の感覚がある。
小学生時代、祖父母からクリスマスのプレゼントを買ってもらえるとのことでおもちゃ屋さんを姉妹仲良く見て回っていた時のこと。姉や妹はこれが欲しいというものをサッサと見つけ出して買い物を済ませたのに、私はというと欲しい気もするけどそんなに欲しくないかもしれないなあなどとグダグダ悩んだ挙句、これなら良いかもと選んだものに対して祖父母から「あんたそんなもんでいいの」などと言われることが多々あった。
あれは今思えば、満ち足りていたから欲しいと思えなかったのではなく、お店では買えないようなもっと別の何かが欲しかったような気がする。
例えば、家を建てたいとか
そういう意味でずっとひもじかったし、その時点で私のメンドクサイ思考人生は始まりを告げていたのだった。

姉や妹が瞬間瞬間でものを買ってもらって満たされていく様は、見ていて清々しいものがあった。
当時は、見ているだけで良かった。
だけどこのまま満たされにくい人生ではいられない。今となっては独り身ではなく養うものもありますので、一刻も早くお金さんには私の元へ集まっていただきたい。
そのためには、お金さんをやりとりする機会を少しでも増やして場数を踏んでいくことが大切かなと思ってるのですが合ってますかお金持ちさん。
とりあえずフリマで家にある使わないものをちまちまと出品してみたりしていますが、何とも値段のつけ方が下手くそで、笑ってしまうぐらいに出品即売。安すぎるようだ。
この度、ものの価値が分かってないことを痛感するに至りました。(相場もちゃんと見てるはずなのに…)
これでは大きなお金さんをお迎えする準備にならない。私の欲しいものはもっと大きなものなので、もっと大きなお金さんと向き合わなければならない。

大きなお金さんといえば博打。(えっ?合ってる?)
自分のくじ運のなさというのは過去にも触れたことがあるのですが、身の程をわきまえようということで当方宝くじも買ったことがありません。
しかし身の程って何なのでしょう。自分の決めた身の程をわきまえるとはこれいかに。ちまちま小銭を拾ってチリツモヤマナル方式を採用して生きてきたけどそれってどうなん。
どうなんどうなんどうなんどうなん〜♪
子牛をの〜せ〜て〜♪
ドナドナどうなん。
結局それで現時点お金持ちさんにはなれてないじゃない。
小さいものをかき集めて大きなものを得ようとする、それって自己矛盾じゃあないのか。どうなん!
画材をちまちま使う。ペンが擦り切れるまで使う。スクリーントーンをちまちま使う。昔からそうだったね。
でも、大きなお金にはならないよね。なった試しがない。
それどころか、ケチケチして身を削って死にかけていたじゃあないのか。
逆に聞こう。本当に自分にはくじ運がないと言えるのかね。
本当はそこそこ当たりを引いているのに、外れたことばかりが印象に残っているだけなんじゃあないのかね。
その可能性は実は十分にある。高校の頃、友達が好きなゲームグッズのプレゼントキャンペーンに応募したら当たったことがあるし(その友達にあげちゃったけど)、お年玉付き年賀はがきも今年当たったし(切手シート1枚だけど)、先日だってフリマの梱包資材のプレゼントキャンペーンに応募したら当たったし(使い道がないやつけど)。
いけないことはないんじゃないかしら?
てなわけでワイ、これから宝くじなどやってみようかしらなどと思ってますが合ってますかお金持ちさん。

いずれこの日記も恥ずかしくなる日が来るかもしれない。いや、すでに十分恥ずかしいです私。けど経験やから、間違ってもええやん。間違っても死なないようにしますから。
とまあ今更ではありますが、これからなるべく大きなお金さんとも向き合って生きて行こうと思います。目指せ、ケチケチ人間卒業。

カテゴリ:日常・人生
梅干甘太郎 webmaster@umekan.net