物事の判断基準

最近、たいへん読書家な友人に私はこんな質問をしました。
「いわゆる有害図書なるものはこの世にあると考えますか?」
そこで返ってきた答えがこうです。
「有害図書などというものにとらわれるのではなく、より良い書物に出会うことを考えるべきでしょう」
私の中で衝撃が走りました。
「悪いものを避ける」ことに思考を割くのではなく、「良いものをいかに取り入れるか」ということに集中すべきなのだと。
そしてそれは全ての判断基準に適用できるはずであると、確信しました*\(^o^)/*

例えば、めちゃくちゃ健康的な生活を送っている方は、「何を食べちゃだめか」ではなく、「何を食べるべきか」を考えて食べ物を判断しているではないですか?
逆に不健康な人ほど、「あれも食べちゃだめ」「これも食べちゃだめ」とさまざまな制約を作って生活しています。これをして精神的にも健康な方、私は見たことないです。

つまり、何かを判断する際、否定的な疑問ではなく、肯定的な疑問を投げかけるべきであると今宵の私は考えてみるのです(^o^)/

みなさん、神社にお参りに行ったことはありますか?
神社にはたくさんのお守りが売られていますね。
交通安全、合格祈願、安産祈願…
共通するのは、全て肯定的なイメージを持って祈願するというポイントです。
「事故りませんのお守り」なんて見たことないでしょ?
「絶対落ちませんのお守り」も、「難産になりませんようにのお守り」もありません。

「交通安全」のお守りを買ったら、交通事故にとらわれるのではなく、ただただ安全に滞りなく運転ができるイメージをすること。
「合格祈願」のお守りを買ったら、落ちたらどうしようなどと考えるのではなく、スムーズに合格できその後の楽しい生活を思い描くこと。
「安産祈願」のお守りを買ったら、もしもの事があったらどうしようなどと考えるのではなく、何事もなく赤ちゃんを胸に抱けるイメージを持つこと。
それに集中することだけが大切なのだと、神社は投げかけているのです。

つまり、肯定的なイメージを持っている事柄には、肯定的な事象として自分に返ってくる。
そして否定的なイメージを持っている事柄にも、そっくりそのままのイメージが事象として自分に返ってくる。
そういうことが言いたいのです。

私は小・中学生でこんな体験をしました。
席替えの際、「今隣の席のこいつと離れた席になりますように」と祈っていましたら、まんまと「今隣のこいつと隣の席」になれました!
しかも連続で何度も隣の席に!
かつての私は、なんてアホだったのでしょう?(^◇^;)
素直に隣になりたい人を思い描いて「あの人と隣の席になれますように」と祈っていれば良かったのです。
ハァー!今すぐ小・中学生の自分に会いに行って教えてやりたい!
お前それ、間違った注文してるよー!って!

まだまだあります。
何らかの成功を収めている人は、スポーツ選手なんかは分かりやすいと思いますが、常に自分が成功するイメージを持ってトレーニングしています。「ミスったらどうしよう」「自分の何が悪いんだろう」とは考えたりしません。「必ず滞りなく成果を収める」という思考にひたすら集中します。

そもそも「どこが悪いのか」と探している時点で、悪いところがどこかしら見つかりますよね。一生懸命探しているから。
人はこれを「あら探し」「叩けば埃が出る」などというではありませんか。
もう、そんなもの探すのやめましょう!
だって探したら出てきちゃうよー?
出て欲しくないものを探さないこと、これが真に賢明と言えるのではないでしょうか?
そして本当にほしいものをどんどんイメージしてやりましょう。
今日の私は、その事を声を大にして言いたいのです(^O^)/以上!

カテゴリ:日常・人生
梅干甘太郎 webmaster@umekan.net