コップ一杯の水、泉のほとり

幸せについて、私はこう思います。

一人一人に渡されているのはコップ一杯です。
そこへたくさんの水を注げば、溢れ出ていきます。
そのコップ一杯の水を自分から誰かにあげよう、あげようとばかりしすぎると…
お分かりのように、自分の分がなくなっちゃうのです。

だけれど水は、コップの中だけではなく、実は無限にこんこんと湧き出る泉があるのです。
それに気がつければ、あなたはいつでも好きな時に水を汲みに行くことができます。

皆さん水には限りがあって、自分が取れば誰かが取れなくなってしまうと思ってますが、そんなことはないのです。
泉からうまく水を汲めないでいると、どうしても人のコップが気になりますが、人と人とでやりとりしている水というのはほんの少しの量に過ぎません。水は誰もがもっと無限で確実な泉に汲みに行くことができるのです。
誰かが得をすれば誰かが損をするなんて事は、まったくないのです。

それに「器が大きい」とか「大器晩成」なんて言いかたをたまにしますが、あれは嘘で、皆さん持っているコップは同じなのですよ。
泉があることを知っていていつでも汲みに行けるか、汲み方がよくわからないかの違いです。

私は以前自分の事を「与える」人間だと思い込んで生きてきました。
でも、人が人に与えられる量なんてせいぜいコップ一杯、大したことないのです。
「与える」なんて続かなかったですよ。コップの中身はあっという間に枯れ果て、心がカラカラになってしまったのです。
もちろん反対に、人から人にもらえる量なんてのも大したことはありません。だから誰かから受け取ろうとか、奪い取ってやろうなどと考えてもすぐに尽き果て足りなくなるのです。

「元気をもらう」という言葉がありますが、実際にはその人が分けてくれているわけではありません。
そんな事をしたら、大きなホールなどで一度にたくさんの人を相手にコンサートをするようなミュージシャンは、精魂尽き果ててしまいます。
でも有名なミュージシャンは一切そんな事にはなりません。なぜかというと、実際は個人のコップから分け与えているのではなく、泉にアクセスする手伝いをしているに過ぎないからです。

貧しい村に食料や物資を届けても、あっという間に消耗してしまいます。
しかし、井戸の掘り方、商売の仕方などを教えさえすれば、自立して救援に頼る事なく生活する事ができます。

人は人のコップが羨ましいなーとか、あっちのコップは可哀想だなーなんて思いがちですが、誰にも邪魔されずに無限の泉にアクセスできます。

皆さん、泉の存在を忘れないでくださいね。
疲れたら、いつでも思い出して、泉のほとりで心の休憩をしましょう。

カテゴリ:日常・人生
梅干甘太郎 webmaster@umekan.net